竈門神社・宝満山の山名由来
- 山の形から
- 太宰府からみるとかまどの形をしている。(829.6m)
- 貝原益軒(筑前国続風土記)
- 高くそびえ、雲霧深く覆い、烟気つねに絶えず、故に窯門山ともいい、御笠山とも、宝満山とも称す。
- この山、国の中央にありて、いと高く造化神秀のあつまれる所にて、神霊のとどまります地なればにや、筑紫の国の惣鎮守なり
- 岩の形から
- 竈門岳にある鼎の形をした竈門岩からかまど山と呼ばれたかもしれない。釜・蓋の岩もある。
- 百段ガンギから山頂までの登路周辺に宝満25坊址がある。
- 花崗岩の山だけに登路から山頂までの間は巨岩、奇岩が多い。
- 貝原益軒が「宝満山岩石多くして、其形勢良工の削なせるが如し。誠に奇絶の境地也」と述べている。
- 昔、天つ神が宝満山で生まれたときは、山の湧き水を産湯に用いたという伝説がある。
- そのとき、湯を沸かすために使った竈石に1丈余りの石3つがあって、竈石とも釜石ともいった。
- この伝説からも竈門山の山名由来が生まれたらしい。
- 竈門岩は国初、国津神誕生のときの産湯を沸かした聖地。
- 竈門さんからメールでいただきましたご意見
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大宰府の竈門神社には行ったことがありますが、詳しく調べなかったのでわかりませんが、祭られている人、宝満山ということから考えると竈門一族(丹生一族)のゆかりの地と考えております。
この一族は鉱山師であり、宝満山あるいはその近くで金銀銅水銀朱がとれればほぼ間違いないと考えます。
こういう鉱山の近くには山岳修行者が多く水銀や金を飲むことによって永遠命をえようとしたとされております。
その当たりで水銀などを採っていたという形跡はありませんか。教えていただければ幸いです。
ちなみに、金銀銅水銀がとれた山は宝の山ですから宝満山とか黄金山とか比治山とか呼ばれていることが多いです。