宝満山の伝説(峰入り)

宝満山(金剛界)が修験山伏の峰入りの山であることはよく知られている。
山麓から山腹にかけての有智山(内山)、北谷、南谷の僧坊を合せて370坊もあり、このうち70坊が山伏の専戒行をつとめ入峰を司ったという。
古説によると、文武天皇のとき、役の行者(小角)が宝満山に登り、49日間鈴を振って宝満大明神の影向(神霊の降臨)を祈り、7つの岩窟で修行したところ、本地の観世音菩薩が示現したという。
以来、宝満山は修験山伏の道場として盛行をきわめたとあるが、密教説では、宝満山を金剛界、英彦山を胎蔵界に疑して、春の峰入りは宝満山、秋は福智山から入ったといわれる。この峰入りルートも役の行者伝説がもとになっている。

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