竈門神社の案内板

県立太宰府自然公園宝満山案内
宝満宮竈門神社は天武天皇の白鳳2年の創建で主祭神は玉依姫命(第1代神武天皇御聖母)をお祀りしている。
母性愛の神、縁結びの神として信仰篤く、又昔より九州地鎮守の神としてあがめられた。
宝満宮の下宮がここで、これより約1時間半で海抜868メートルの上宮に達する。
命の輿跡の残ります所で、霊気自ら身に迫るを覚えそびえ立つ数十メートルの大岩盤の上に鎮座している。
山頂からの眺めはすばらしく前方に福博の街や、博多湾に浮かぶ能古、志賀などの島々、玄界波涛に遥か壱岐を望み、背後には三郡の諸峰がそびえ、眼下には筑紫の大平野が展開し、山麓より迫る大樹林は、代表的な自然林として推賞されている。
その景観の雄大さは他に類をみることが出来ない。
特に春の花々、秋の紅葉と古く、
「散るたびに、古人こがれても  しきかな、かまどのやまの ひさくらの花」 道信法師
「春はもえ 秋はこがるる かまど山 霞もきりも けふりとぞみる」 清原元輔
と詠まれているほどの名山である。
宝満山・竈門神社
石仏や梵字石燈納跡などを残す宝満山は、中世以降は英彦山と並ぶ修験者の道場となった山。
竈門神社は、山頂の上宮とともに玉依姫命を祭神にしている。
奈良時代の創建で、府の鬼門にあたるところから祀られた。
神社下の竈門寺跡は、最澄が渡唐する際に安全祈祷したところで、のちに九州天台宗の拠点となっている。
太宰府市
竈門山寺跡
背後の草地の中に、大きな石が整然とならんでいる。
ここは建物の礎石で、時代は平安時代末期とされる。
またここからは奈良時代の瓦も見つかり、伝教大師最澄が唐へ留学する前に立寄り、航海の安全を祈って薬師仏を造ったという竈門山寺の跡ではないかといわれる。
古代から中世にかけて竈門山寺−大山寺と続く宝満山麓の寺の一部であろう。
太宰府市