大宰府と貿易

遣唐使の目的は中国への朝貢、宗教や学問などの新文化の収得でもあったが、主たる目的は貿易であった。
894年菅公の建議で遣唐使は廃止されたが、その理由は唐商人が博多にぞくぞくと渡来するので、莫大な経費をかけ、多くの犠牲を払って派遣しなくても貿易ができるようになったからである。
唐船の来航は博多港のみに限られていた。唐商人は身元調べや積荷の検査の後、鴻臚館に滞在した。
鴻臚館は外国使節の客館であったのが奈良時代後半から唐商人の宿泊所に変り、大宰府役人の貿易管理事務所になっていった。
大宰府の報告を受けた朝廷は、唐物交易使を派遣し、お上の御用品をごっそり買い上げ、残りを市中の権門勢家に払い下げていた。
唐物交易使は909年までで、それ以降は大宰府役人に任せられた。

当時の輸入品:綾錦等の織物、香料、薬品、書画、経典、孔雀、オウム、陶器
当時の輸出品:砂金、真綿、水銀、生糸

大宰府役人は密貿易の監視人であったはずなのに、いつのまにか賄賂を取ることを覚え、横流しの張本人になり、あっというまに堕落してしまった。(大宰権帥の藤原伊房、筑紫国司の藤原仲秋、大宰大弐の藤原惟憲)
平安末期になると貿易は鴻臚館がそびえる荒津港から博多津に移って大荘園との直接取り引きになっていった。
太宰府安楽寺(天満宮)や筥崎宮、観世音寺、宇佐八幡宮など博多付近に荘園を持ち、私貿易で栄えていった。

唐商との国際結婚の悲劇も多く(世阿弥の「唐船」)、日本妻は渡航を許されずに遺児と残り、この子孫が博多商人となっていった。

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