古代の東アジア

日本の古代国家は中国や朝鮮からの政治的影響や文化的影響を強く受けて成立した。

小国分立時代の金印(漢倭奴国王)で知られる奴国王や邪馬台国女王卑弥呼などは中国王朝を関係を持つことで自らの地位の強化を図ろうとした。

4世紀後半になると、国内を統一した大和朝廷は朝鮮半島に進出して南部の任那を支配下に置き、ついで登場した倭の五王は中国の南朝に入貢してその承認を求めた。

6世紀に入ると、新羅の台頭、百済の衰退など朝鮮半島の情勢は激しく揺れ動き、日本は任那を失い、以後はその回復が大きな課題となった。589年には強大な随帝国の出現が東アジア世界に大きな影響を与え、日本は聖徳太子のもとで国内の政治改革を行い、遣随使の派遣など新しい国際情勢に対応しようとした。

660年、唐と新羅は百済を滅し、新羅が半島南部を統一した。日本は軍隊を派遣して百済の再興を図ったが、663年白村江の海戦で大敗し、再興は失敗に終った。

大宰府展示館リンク

任那の日本府は大和朝廷の誇張だよって意見をメールでいただきました。