これまでの調査で10数棟の掘立柱建物跡が見つかっており、中心的な建物も確認しているが、具体的な建物配置や性格などは不明な点が多い。
しかし、この地区の東辺部でみつかった南北方向の溝は、11世紀に観世音寺と学校院が土地の境界を争った際の「松崎小溝」と考えられている。
昭和50年の発掘調査
- 礎石建物1・井戸13・木棺墓1・木蓋土墳墓1・製鉄遺構・溝・土墳・ビット等、平安時代から室町時代にかけての遺構を検出した。
- 整備は、鎌倉時代末頃と考えられる礎石建物跡を平面復原したもので、建物の周囲には雨落ち溝がめぐっている。
- 「筑前国続風土記」によると観世音寺子院の中に学業寺の名があり、現在の字名からみてこの建物跡は、その遺構である可能性がある。