観音33カ所札所
1800年、四王寺山の土塁線5.6kmに西国観音霊場の霊土が埋められ、33体の観音石仏が祀られた。
観音石仏にある銘によると、1800年、博多下呉服町の国松市三郎(3代目)の作とおもわれる。
建立発起人は、当時の四王寺の僧坊花壱坊印良寛、博多横町宮崎金平らの手によって建立された。
信者講中のはなしでは、岩屋城戦に散華した彼我の戦士5000余銘の鎮魂回向もあって観音巡礼をしているという。
663年白村江の戦いに敗れ、国難を叫ぶ朝廷によって全国から多くの防人が筑紫に派遣されてきたが、この大野山の山塞で一生を終わった諸国の武士たちも少なくはないはずである。
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