大宰府の文化

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よろずよに
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わが園に
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万葉集に"遠の朝廷(とおのみかど)"と詠まれている。
大伴旅人(おおとものたびと)は名家の出のため藤原一族に妬まれ726年大宰府長官に赴任した。730年正三位大納言になって奈良に帰る。帰って1年、64歳で亡くなった。
大伴旅人はこの地で妻を亡くした。旅人の息子は万葉集に防人の歌を採用した大伴家持(やかもち)。異母兄弟に大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)
大伴旅人や山上憶良(やまのうえのおくら)らの官人たちによって、大宰府やその周辺を詠んだ万葉集は有名。
このころの大宰府長官は九州総督と外務大臣を兼務したくらいの重職。山上憶良は筑紫の国司で県知事くらいの役職。大宰府に住んでいた。

730年正月13日、大伴旅人が山上憶良、沙弥満誓(しゃみまんせい)など30数人の万葉歌人を招いて梅見の宴を開いた。この時の歌が32首万葉集に採用されている。
「わが園に 梅の花散る ひさかたの 天より雲の 流れくるかも」大伴旅人
酒はにごり酒。中国渡来の梅は当時珍木であった。

菅公が「都府の楼にはわずかに瓦の色を看る 観音寺にはただ鐘の声をのみ聴く」と詠んでから、「都府楼跡」という名で親しまれている。


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