楼門
太鼓橋
末社
如水は、福岡城の建設中、名島から太宰府に移り住み政治は長政にまかせた。
如水の仮寓は、天満宮の鳥居の東にあった。
松梅の 末長かれと みどりたつ 山よりつづく 里は福岡
太宰府の天満宮は、かつて兵火によって焼失したのを、小早川隆景が神殿だけは再興したが、そのほかの営作には及ばなかった。
これを如水は嘆かわしく思い、米90石7斗、銀1700匁を投じて、楼門や回廊、末社や橋などを整備した。
隆景のとき、社領1000石を寄進したが、その後継ぎ秀秋は700石に減じた。
これを如水は2000石にした。
このため天満宮では、如水を中興の主とあがめ、毎年正月、5月、9月の20日を期して、如水の好きな連歌会を催し、如水の没後も懐旧のおもいをこめて、明治にいたるまで続けたという。
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水五訓
水五訓に関する質問メールが多いのでここに書いておきますね。
一、自ら活動して他を動かしむるは水なり
一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
一、洋々として大洋を充たし発しては
蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰と化し
凝っては玲瓏たる鏡となりたえるも
其性を失わざるは水なり