平安時代の竈門神社
- 唐に留学する最澄(803年)・空海(804年)・円仁(838年)・円珍が船便を待ち、上洛を待った場所。
- 最澄・空海は第16次遣唐使(804年)で帰国してともに日本仏教の開祖となった。
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最澄(伝教大師):天台宗の開祖
- 社伝によると最澄は入唐に先立ち、803年10月、竈門山寺にて渡海の平安を祈り、薬師如来を彫造し、けわしい宝満山に登り「伝教大師窟」で修行したと伝えられる。 『叡岳要記』
- 薬師如来は7体(一説では4体)で、筑紫国7カ寺(有智山寺、南林寺、種因寺、薬王寺、日照寺、武蔵寺、東林寺)に奉納したといわれている。『社家伝』
- 804年、最澄は入唐後1年目に帰朝して比叡山に天台宗を創設してから、竈門山神社は天台宗に属するようになった。
- 40年後、最澄の高弟円仁も竈門山寺にこもり、「伝教大師窟」で修法したといわれている。
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空海(弘法大師):真言宗の開祖
- 804年竈門の神に参籠して雨乞いを祈願し、真言求門持の法を修したといわれ、その跡(求門持堂)が山中7カ所の岩の1つである福城の岩屋にあると伝えられている。
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■空海■