鎌倉-戦国時代の宝満山

15世紀から16世紀にかけて少弐、大友が大内と戦い、大友、菊地、毛利、秋月、島津が戦った。
九州三人衆
[少弐氏]武藤資頼は鎮西奉行として赴任。1198年に筑前、肥前、豊前の守護となり九州の大大名になった。1226年大宰小弐を兼任(当時は小弐が実質上長官であった)。大宰府はこの時から「大宰府守護所」と呼ばれることになった。武藤氏は少弐を称した。
[大友氏]中原親能は鎮西奉行として赴任。豊後、筑後、肥後の守護となり大友氏を称した。
[島津氏]島津忠久は薩摩、大隅、日向の守護となった。
有智山城跡
少弐政資の本拠地。
宝満山の中腹、久重原(標高200-250m)の尾根に造られた山城。
少弐氏が朝鮮との貿易で貯えた財宝が埋っているかもしれない。
有智山城最初の落城:1336年足利尊氏に味方した小弐貞経が宮方の菊池武敏に攻撃された(太平記巻16「少弐、菊地との合戦の事」)
高橋鑑種
大友一族
山頂に宝満城を構えた(1559年)。
毛利の後押しで大友家を苦しめた。
大友軍から包囲されたが、水が豊富で善政をしていたため2年間も籠城できた。

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