1853年黒船来航後、朝廷は公武合体論であったが尊皇攘夷派の公家が現れてきた。
1863年8月18日の政変で尊皇攘夷派7名は京都から長州へ逃れ出た。
幕府の第一次長州征伐の講和条件で尊皇攘夷派の五卿は1865年2月に太宰府に移ることになった。
五卿とは中納言三條実美公27歳をはじめとする上級公家5名のこと。
太宰府では実美公のふたいとこである信全35代別当の住居に入居した。
信全は菅原氏一族の長、太宰府の安楽寺天満宮の座主で、天満宮中興の祖と呼ばれている。
五卿は九州5藩から軍資金を集め、西洋式武器を購入した。
九州諸藩の志士が続々と太宰府に集まり、倒幕の震源地となった。
明治維新の志士、西郷隆盛や高杉晋作、野村望東尼、伊藤博文、木戸孝允、月照、江藤新平らが足繁く訪れた。